【日本人なら知っておくべき】日本100名城の旅【長野県】
日本国内には数多くの城郭があります。
古代から中世、近世に至るまで
歴史の舞台となった名城の数々。
古来からの姿を残しているものもあれば、
石垣などの遺構を残すのみのものもあり。
そうした各地の名城を巡るのも旅の醍醐味です。
今回は日本100名城に選ばれた長野県の名城をご紹介します。
この記事の目次
日本100名城とは
日本100名城とは財団法人日本城郭協会により定められた名城の一覧です。
数多くある日本の城郭から、各都道府県一つ以上五つ以内、
知名度・重要度・保全や復元の状況などを基準に
歴史や建築の専門家による審査のもと選定されました。
江戸城や大阪城、国宝姫路城などが選ばれ、
長野県からは合わせて5つもの名城が選定されています。
長野県長野市・松代城
出典:Wikipedia
松代城は古くは海津城と呼ばれていました。
「甲陽軍鑑」によれば山本勘助によって築城され、
信濃を支配した武田氏の越後上杉氏への最前線として機能し、
川中島の戦いの舞台にもなっています。
武田氏滅亡後は織田氏、上杉氏、豊臣氏と支配者が変遷し、
城主も次々と入れ替わりましたが、
1622年に真田氏が入封し松代藩13万石の藩庁として
明治維新を迎えます。
明治以降に廃城となりましたが、昭和期にはいり城址の一部が史跡に指定され、
2004年には太鼓門や堀、石垣などが復元されました。
現在は藩校文武学校や鐘楼などが現存しており、
2016年の大河ドラマでは真田氏が取り上げられることもあり
真田氏ゆかりの城として注目を集めています。
住所:長野県長野市松代町松代44
アクセス:JR長野駅からバス約30分
長野県上田市・上田城
出典:Wikipedia
上田城は真田昌幸によって築城された平城。
二度にわたり徳川軍の侵攻を退けた名城として有名です。
中でも関ヶ原の戦いの際には
徳川秀忠率いる中山道方面軍を籠城戦により手こずらせ、
関ヶ原の戦いに遅参させるという戦果を挙げています。
その後上田城は破却されましたが、
真田氏が松代城に移った後に仙石氏が入城、
現在の上田城の基礎を作りました。
現在は上田城址公園として整備され、
上田市の施設などが置かれているほか、
花見の名所としてにぎわっています。
こちらも真田氏ゆかりの城として
非常に人気の高い城です。
住所:長野県上田市二の丸
アクセス:JR上田駅から徒歩約10分
長野県小諸市・小諸城
出典:Wikipedia
小諸城は「酔月城」「穴城」「白鶴城」とも呼ばれます。
室町時代に築城されたと考えられますが、
現在残されている城郭の基礎は
信濃に侵攻した武田氏家臣・山本勘助によって造られたと伝えられています。
信濃国は武田氏と上杉氏の攻防戦の舞台ともなり、
武田氏滅亡後は織田氏、徳川氏と支配者が変遷しました。
小諸城も同様に武田氏滅亡後は城主が転々とし、
江戸時代に入り仙石氏によって近世城郭に改修されました。
現在は懐古園の入り口の三の門、大手門が現存し重要文化財に指定されているほか、
天守台や石垣などが現存しています。
住所:長野県小諸市丁311
アクセス:JR小諸駅から徒歩約5分
長野県松本市・松本城
出典:Wikipedia
松本城はかつては深志城とも呼ばれていました。
戦国時代に信濃守護・小笠原氏の居城・林城の
支城のうちの一つとして築城されました。
甲斐武田氏により小笠原氏が衰退すると、
武田氏は深志城を信濃経営の拠点とします。
武田氏滅亡の後に小笠原氏がこの地に返り咲き、
松本城と名を改めました。
松本城の天守は安土桃山時代から江戸時代初期に建造されたとされ、
全国に12ある現存天守の一つに数えられるほか、
姫路城・彦根城・犬山城と並び国宝にも指定されています。
住所:長野県松本市丸の内4-1
アクセス:松本駅から徒歩約20分
長野県伊那市・高遠城
出典:Wikipedia
高遠城は別名「兜山城」とも呼ばれます。
戦国時代は高遠氏の居城でしたが、
武田氏の信濃侵攻に際し高遠氏は滅亡、
以降武田領の西の拠点として機能します。
一族や重臣が城主を務め、
織田氏の信濃侵攻の際には武田勝頼の弟、
仁科盛信が城主を務め、壮絶な攻城戦を繰り広げました。
江戸時代以降は高遠藩の藩庁となり、
元禄以降は内藤氏の居城として明治維新を迎えています。
住所:長野県伊那市高遠町東高遠城跡
アクセス:伊那市駅よりバス約25分
まとめ
以上、今回は長野県の名城をご紹介しました。
信濃国は戦国時代から江戸時代にかけて
大勢力に囲まれ支配者が変遷した歴史があり、
その中を生き抜いた名城ばかりです。