【日本人なら知っておくべき】日本100名城の旅【滋賀県・京都府】
日本国内には数多くの城郭があります。
古代から中世、近世に至るまで
歴史の舞台となった名城の数々。
古来からの姿を残しているものもあれば、
石垣などの遺構を残すのみのものもあり。
そうした各地の名城を巡るのも旅の醍醐味です。
今回は日本100名城に選ばれた滋賀県・京都府の名城をご紹介します。
この記事の目次
日本100名城とは
日本100名城とは財団法人日本城郭協会により定められた名城の一覧です。
数多くある日本の城郭から、各都道府県一つ以上五つ以内、
知名度・重要度・保全や復元の状況などを基準に
歴史や建築の専門家による審査のもと選定されました。
江戸城や大阪城、国宝姫路城などが選ばれ、
滋賀県・京都府からは合わせて5つの名城が選定されています。
滋賀県長浜市・小谷城
出典:Wikipedia
小谷城は日本五大山城にも数えられる戦国時代の山城です。
近江の浅井亮政によって戦国初期に築城したと推定され、
以降浅井氏の居城として機能しますが、
亮政の孫・長政の代に至り、尾張の織田信長と対決、
激戦の末に落城します。
浅井氏滅亡の後はこの地は羽柴秀吉に与えられますが、
琵琶湖に面した長浜城を築城したため廃城となりました。
現在は曲輪跡や石垣などが残されています。
住所:滋賀県長浜市小谷郡上町139
アクセス:北陸本線河毛駅よりバス
滋賀県彦根市・彦根城
出典:Wikipedia
彦根城は江戸時代建造の天守が国宝に指定されています。
関ヶ原の戦いの後に近江に入国した井伊氏にによって築城され、
以来、彦根藩の藩庁として機能しました。
彦根城築城の際には、大津城・佐和山城・小谷城・観音寺城などから
天守や門、櫓などが移築されたとの伝承が伝わっています。
天守のほか附櫓・多聞櫓が国宝に指定され、
その他の櫓、門、石垣などの多くの遺構が保存されているほか、
玄宮園・楽々園の大名庭園が国の名勝に指定されています。
住所:滋賀県彦根市金亀町1-1
アクセス:JR彦根駅から徒歩約15分
滋賀県近江八幡市・安土城
出典:Wikipedia
安土城は織田信長によって築城された幻の城として有名です。
天下布武を進める織田信長は、京へのアクセスに便利なこの地に、
岐阜城から本拠を移しました。
築城期間は約3年、地下1階地上6階建て、
天守は約32メートルの高さを誇り、
当時としては大型且つ独創的な城であったと言われています。
本能寺の変にて信長が没したのちに焼失・廃城とされ、
当時の記録からしかその様子をうかがうことができませんが、
現在は石垣などの遺構が残されています。
住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
アクセス:JR安土駅より徒歩20分
滋賀県近江八幡市・観音寺城
出典:Wikipedia
観音寺城は近江守護・六角氏の居城。
古くとも、南北朝時代には拠点として機能していたと考えられており、
応仁の乱では三度にわたり攻城戦が行われています。
戦国期には大規模な改修が行われ、
1,000以上の曲輪を擁し、総石垣が施された
戦国屈指の大規模な山城となりましたが、
六角氏が織田氏と対立するにおよび開城、
その後廃城になったと考えられています。
現在は本丸を中心とした曲輪跡や居館跡、
礎石、石垣、階段などの遺構が残されており、
城跡一帯は国の史跡に指定されています。
住所:滋賀県近江八幡市安土町石寺
アクセス:JR安土駅より徒歩40分
京都府京都市・二条城
出典:Wikipedia
二条城は京都市街に築かれた平城。
二条城と呼ばれる城は、
古くは室町時代初期に足利氏の屋敷が置かれたのにはじまり、
足利将軍の居城や織田信長の宿所などが存在しますが、
現在の二条城は関ヶ原の戦いの後、徳川家康によって築かれた城です。
江戸時代には徳川将軍の京都における宿所であるとともに、
京都政界における幕府の拠点として機能し、
大政奉還をはじめ、度々歴史の表舞台に現れています。
二の丸御殿が国宝に指定されているほか数多くの重要文化財を有し、
世界遺産「古都京都の文化財」を構成する一つとして登録されています。
住所:京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
アクセス:京都市営地下鉄東西線・二条城前駅徒歩1分
まとめ
以上、今回は滋賀県・京都府の名城をご紹介しました。
長らく日本の政治の中心であった地域だけに、
権力者・実力者たちのゆかりの城です。