【日本人なら知っておくべき】日本100名城の旅【山梨県・静岡県】

日本国内には数多くの城郭があります。
古代から中世、近世に至るまで
歴史の舞台となった名城の数々。
古来からの姿を残しているものもあれば、
石垣などの遺構を残すのみのものもあり。
そうした各地の名城を巡るのも旅の醍醐味です。
今回は日本100名城に選ばれた山梨県・静岡県の名城をご紹介します。
この記事の目次
日本100名城とは
日本100名城とは財団法人日本城郭協会により定められた名城の一覧です。
数多くある日本の城郭から、各都道府県一つ以上五つ以内、
知名度・重要度・保全や復元の状況などを基準に
歴史や建築の専門家による審査のもと選定されました。
江戸城や大阪城、国宝姫路城などが選ばれ、
山梨県・静岡県からは合わせて5つの名城が選定されています。
山梨県甲府市・武田氏館
出典:Wikipedia
武田氏館は甲斐国守護・武田氏の居館で
躑躅ヶ崎館と呼ばれています。
武田信虎の代にこの地に居館を築き、
武田信玄はこの地を本拠として広大な勢力圏を作り上げ、
武田勝頼が新府城(韮崎市)に拠点を移すまで
60年近く武田氏の本拠として居館を中心とした城下町が作られました。
後に武田氏が滅亡し、甲斐が徳川家康の支配となるにおよび、
甲府城に中心が移りました。
現在は館跡の大半や城下町は市街地になっていますが、
居館の中心部は武田神社が建てられており、
周囲には水堀がめぐらされています。
住所:山梨県甲府市古府中町2611
アクセス:JR甲府駅北口よりバス約8分
山梨県甲府市・甲府城
出典:Wikipedia
甲府城は別名「舞鶴城」とも呼ばれています。
武田氏が滅亡し、替わってこの地に入った
徳川家康の家臣・平岩親吉によって築城されたと言われます。
以降江戸時代を通じて、江戸防衛の重要拠点として
親藩・譜代大名がこの地を治め、
明治維新後廃城となりました。
明治時代、中央本線の開通により敷地は分断されましたが、
現在は稲荷櫓や山手渡櫓門が復元され、
舞鶴城公園として整備されています。
中央線の車内からもその姿を見ることが出来ます。
住所:山梨県甲府市丸の内
アクセス:JR甲府駅南口から徒歩5分
静岡県三島市・山中城
出典:Wikipedia
山中城は小田原北条氏の支城で箱根十城のひとつ。
現在の国道1号沿い、箱根峠を越えた三島よりに位置します。
北条氏康によって小田原防衛の拠点として築かれ、
小田原征伐の際には豊臣軍7万の軍勢を迎え撃ちました。
奮戦かなわず落城し、山中城は廃城となりました。
現在は三島市によって整備され、
土塁や堀などの遺構を芝生で覆うなど
保護を施し風化を防止しています。
住所:静岡県三島市山中新田字下ノ沢
アクセス:三島駅よりバス30分
静岡県静岡市・駿府城
出典:Wikipedia
駿府城は別名「府中城」「静岡城」とも呼ばれます。
この地には14世紀より駿河守護の今川氏によって
居館が築かれ駿河の中心となっていました。
今川氏が滅亡し、駿河国は武田氏から徳川氏へと主が変わり、
徳川家康の治世下に近世城郭としての体を成します。
家康の関東入封後は中村一氏が入城しましたが、
江戸幕府が開かれ、家康は徳川秀忠に将軍職を譲ると
駿府に隠居し大御所となり、
この際にほぼ現在の形の駿府城が築城されています。
現在は駿府城公園として整備され、
堀や石垣など遺構を残すほか、櫓も復元されています。
住所:静岡県静岡市葵区駿府城公園1番1号
アクセス:静岡駅徒歩10分
静岡県掛川市・掛川城
出典:Wikipedia
掛川城は駿河今川家の遠江の拠点として築城されました。
歴史は文明年間に始まり、今川氏の重臣朝比奈氏が城代を務めていましたが、
今川氏が滅亡すると遠江を治めた徳川家の支配下にはいり、
駿河を領有した武田氏との最前線となります。
徳川氏が関東に移封されると豊臣大名の山内一豊が入城、
近世城郭として拡張が行われました。
関ヶ原の戦いの後に山内一豊が土佐へ移った後は、
東海道の要衝として譜代大名が入りました。
現在は文久年間に再建された二ノ丸御殿が現存するほか、
石垣や土塁・堀などの遺構が残されています。
また、天守は1994年に木造の天守が再建されました。
住所:静岡県掛川市掛川1138-24
アクセス:掛川駅徒歩7分
まとめ
以上、今回は山梨・静岡の名城をご紹介しました。
武田氏・今川氏・北条氏・徳川氏と
戦国の強豪大名が残した名城たちです。