【日本の名城】豊臣秀吉ゆかりの城を行く
城・天守閣・城址、日本国内には数多くの城があります。
2006年には「日本100名城」が選定され、「100名城スタンプラリー」なども行われるなど、歴史ファンをはじめ多くの観光客を魅了するとともに、今もなお、各地のシンボルとして存在感を発揮しています。
歴史ロマンを彷彿とさせる日本の名城の旅。
今回は「豊臣秀吉ゆかりの城を行く」です。
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はじめに
出典:Wikipedia
豊臣秀吉は織田信長・徳川家康とともに「三英傑」と呼ばれ、教科書や小説にも頻繁に登場する日本史上の人物です。
尾張国の下層民の家に生まれた秀吉は、織田信長に仕え、織田氏の勢力拡張とともに頭角を現し、最後は天下人にまで成り上がりました。
秀吉はその人間性と並みはずれた行動力・発想力で、日本史上最大級の出世を果たした人物として人気があります。
そんな秀吉のサクセスストーリーを、ゆかりの城とともに追っていきます。
墨俣城
出典:Wikipedia
墨俣城は濃尾平野を流れる長良川西岸に位置します。
この地は古くから交通上・戦略上の重要拠点であり、美濃攻略を目指す織田氏と守る斎藤氏の間で攻防が繰り広げられてきました。
秀吉は美濃の豪族の助力と長良川の水運を利用し、この地にわずかな期間で墨俣城を築き、美濃侵攻の拠点としたと言われます。
いわゆる「墨俣一夜城伝説」です。
この逸話についての史実的な評価は分かれていますが、秀吉の知略と行動力を伝えるエピソードとして有名です。
現在の墨俣城は、大垣城を模して造られた天守閣を擁し、「墨俣一夜城歴史資料館」となっています。
住所:岐阜県大垣市墨俣町墨俣1742-1
長浜城
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信長に仕えた秀吉はとんとん拍子に出世し、1573年にはついに城を任されるまでになります。
旧浅井領を与えられた秀吉は、これまで「今浜」と呼ばれていた地を信長の名にちなんで「長浜」と改名しました。
現在の滋賀県長浜市の由来となっています。
秀吉が築城した長浜城は琵琶湖に近接し、城内に直接船が出入りできるようになっていました。
当時の琵琶湖は交通・輸送の手段として水運が発達しており、それを重要視した秀吉の着眼点の鋭さが垣間見えます。
現在の長浜城は、犬山城や伏見城をモデルに復元されたもので、「市立長浜城歴史博物館」があります。
住所:滋賀県長浜市公園町10-10
姫路城
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姫路城は別名「白鷺城」と呼ばれ、日本を代表する城郭の一つとして有名です。
江戸時代初期に建造された天守閣や櫓などが現存し、国宝に指定されています。
また、「ユネスコの世界遺産」にも登録されるとともに、「日本100名城」にも選定され、数多くの観光客が訪れる人気の観光名所です。。
戦国時代の姫路城は、播磨国の土豪・黒田氏の居城でした。
2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」でも舞台になりましたね。
播磨の国は、天下統一を目指す織田家と中国地方の毛利氏との勢力が衝突する最前線。
中国攻略を任された秀吉は姫路城に入城し、大規模な改修を行い毛利攻めの拠点とします。
後に秀吉が大阪へ移り天下統一を成し遂げた後も、姫路城は山陽道の要衝として重要視され、江戸時代は池田氏の居城となりました。
近代に入り、姫路城は幾度かの大規模改修が行われましたが、2015年1月現在「平成の修理」が行われている真っ最中です。
2015年3月には竣工予定で、まもなく新たに生まれかわった姫路城の姿を見ることができます。
住所:兵庫県姫路市本町68番地
大阪城
言わずと知れた大阪城。
「ゴジラ」や「ウルトラマン」などでもたびたび襲撃された大阪のシンボルです。
「姫路城」や「熊本城」とともに「日本三名城」に数えられ、「日本100名城」にも選定されています。
信長没後最大の大名となった秀吉は、1583年より石山本願寺の跡地に築城を開始し、約一年半の工事を経て完成しました。
豊臣期の大阪城は外観五層の天守と二の丸・三の丸を擁し、三重の堀と運河に囲まれた「総構え」であったと言われます。
大坂の陣において豊臣氏が滅亡・落城し、江戸時代に徳川氏によって再建されました。
現在の天守閣は昭和期に再建されたものですが、石垣などの遺構は江戸時代のものが残されています。
また南方の真田山公園は、大坂の陣の際に活躍した真田信繁(真田幸村)が建造した「真田丸」があった場所と伝えられています。
住所:大阪府大阪市中央区大阪城
聚楽第
出典:Wikipedia
聚楽第は関白となった秀吉の京都における政庁・邸宅として1587年に完成しました。
本丸のほか三つの曲輪を持ち、周囲を堀で囲われていたと言われます。
甥の豊臣秀次に関白の座が譲られるにあたり聚楽第も秀次の居城となりましたが、後に「秀次事件」の際に破却されました。
現在は聚楽第の跡地は住宅地となっており遺構などは残っておらず、「京都市中京区聚楽廻」などの地名に残る程度となっています。
まとめ
以上、今回は「【日本の名城】豊臣秀吉ゆかりの城を行く」をご紹介しました。
関白まで成り上がった秀吉の出世に合わせ、城も壮大に豪華になっているのがわかります。
今でも秀吉は「太閤さん」と呼ばれ多くの人に親しまれています。