【日本人なら知っておくべき】日本100名城の旅【新潟県・富山県・石川県】
日本国内には数多くの城郭があります。
古代から中世、近世に至るまで
歴史の舞台となった名城の数々。
古来からの姿を残しているものもあれば、
石垣などの遺構を残すのみのものもあり。
そうした各地の名城を巡るのも旅の醍醐味です。
今回は日本100名城に選ばれた新潟県・富山県・石川県の名城をご紹介します。
この記事の目次
日本100名城とは
日本100名城とは財団法人日本城郭協会により定められた名城の一覧です。
数多くある日本の城郭から、各都道府県一つ以上五つ以内、
知名度・重要度・保全や復元の状況などを基準に
歴史や建築の専門家による審査のもと選定されました。
江戸城や大阪城、国宝姫路城などが選ばれ、
新潟県・富山県・石川県からは合わせて5つの名城が選定されています。
新潟県新発田市・新発田城
出典:Wikipedia
新発田城は別名菖蒲城とも呼ばれます。
鎌倉時代初期に近江源氏佐々木氏の一族、
新発田氏によって築城されたと考えられています。
以来新発田氏の居城となっていましたが、
織豊期に新発田重家が上杉氏に反乱を起こし、
新発田城は落城しました。
後に溝口氏が入封し、近世城郭として築城、
以降新発田藩の藩庁として明治維新を迎えます。
明治期に大半の建築物が破却され、
陸軍の所有地となりましたが、
本丸表門や二の丸櫓、石垣など当時の建造物を残すほか、
櫓の一部などが復元されています。
住所:新潟県新発田市大手町6
アクセス:JR新発田駅より徒歩約20分
新潟県上越市・春日山城
出典:Wikipedia
春日山城は春日山山頂に築かれた山城で、
日本五大山岳城の一つにも数えられています。
古くは越後守護上杉氏の居城が置かれていましたが、
守護代長尾為景が実験を握ると長尾氏の居城となり、
大幅な改修を行いました。
為景の息子は長尾景虎・のちの上杉謙信。
以来越後国経営の拠点として機能し、
難攻不落の城としてその名を轟かせます。
上杉氏が会津に転封した後は堀氏が入城しましたが、
山頂にあり不便な春日山城は廃城となりました。
現在は本丸跡が残っているほか、毘沙門堂が復元されており、
また近隣の林泉寺の惣門は
春日山城の搦手門が移築されたものと伝えられています。
住所:新潟県上越市中屋敷字春日山
アクセス:春日山駅徒歩30分
富山県高岡市・高岡城
高岡城は江戸時代、加賀藩主前田利長によって築城されました。
当時は関野と呼ばれていたこの地は「高岡」と改められ、
高岡城は利長の隠居城となりましたが、
一国一条令により廃城、越中の中心は富山城に移ります。
城としての寿命は短かったものの、
魚津城と共に加賀藩の防衛拠点としての機能しました。
現在は石垣や井戸などの一部が残るのみですが、
周辺は高岡古城公園として整備され、
日本さくら名所100選にも選ばれる桜の名所として
多くの花見客が集まっています。
住所:富山県高岡市古城
アクセス:高岡駅より徒歩10分
石川県七尾市・七尾城
出典:Wikipedia
七尾城は別名「松尾城」「末尾城」とも呼ばれる山城。
七尾の名称は山から走る七つの尾根に由来すると言われ、
山岳全体に砦を配置した大規模な山城として、
日本五大山岳城の一つにも数えられています。
室町時代に能登国守護・畠山氏によって砦が築かれ、次第に規模を拡張。
最盛期には越後の上杉謙信の包囲を退けています。
重臣の離反によって畠山氏が瓦解すると上杉軍の支配下となります。
後に能登が織田氏の配下となると前田氏が能登に入り、
1589年に廃城となりました。
現在は本丸をはじめとした曲輪などの遺構が残されており、
石垣のほとんどが現存しています。
住所:石川県七尾市古府町、古屋敷町、竹町
アクセス:JR七尾駅よりバス約13分、本丸まで徒歩約60分
石川県金沢市・金沢城
出典:Wikipedia
金沢城は加賀百万石・前田氏の居城として有名です。
戦国期には加賀一向一揆の拠点・尾山御坊がありましたが、
織田信長が一揆を鎮圧すると跡地に金沢城が築かれました。
後に前田利家が加賀に入ると改修・拡張が行われ、
天守や櫓、堀などが増築・拡張されています。
明治以降は一部の建造物が撤去され、
現在も跡地には国や石川県、金沢市の施設が入っていますが、
門や建築物の一部が現存しており、
現在も復元事業が行われています。
住所:石川県金沢市丸の内
アクセス:JR金沢駅よりバス約15分
まとめ
以上、今回は新潟県・富山県・石川県の名城をご紹介しました。
越後の龍・上杉氏と加賀百万石前田氏ゆかりの名城です。