【日本人なら知っておくべき】日本100名城の旅【茨城県・栃木県・群馬県】
日本国内には数多くの城郭があります。
古代から中世、近世に至るまで
歴史の舞台となった名城の数々。
古来からの姿を残しているものもあれば、
石垣などの遺構を残すのみのものもあり。
そうした各地の名城を巡るのも旅の醍醐味です。
今回は日本100名城に選ばれた北関東の三県、
茨城県・栃木県・群馬県の名城をご紹介します。
日本100名城とは
日本100名城とは財団法人日本城郭協会により定められた名城の一覧です。
数多くある日本の城郭から、各都道府県一つ以上五つ以内、
知名度・重要度・保全や復元の状況などを基準に
歴史や建築の専門家による審査のもと選定されました。
江戸城や大阪城、国宝姫路城などが選ばれ、
茨城県・栃木県・群馬県からは合わせて4つの名城が選定されています。
茨城県水戸市・水戸城
出典:Wikipedia
水戸城の歴史は古く、
平安時代末期には築城され、馬場城と呼ばれていました。
戦国末期に佐竹氏がこの地を本拠に定め、
大幅な改修を行い、水戸城の基礎を築きました。
江戸時代に入ると、徳川御三家のひとつ・水戸家の居城となり、
水戸藩の藩庁として幕末を迎えます。
幕末の戦乱や水戸空襲などにより、
多くの建造物が焼失、
現在は国宝の弘道館や、薬医門が残されています。
住所:茨城県水戸市三の丸
アクセス:JR常磐線・水戸駅 徒歩約8分
栃木県足利市・足利氏館
出典:Wikipedia
足利氏館は平安時代末期に源義康が本拠を構え、
この地に由来し、足利氏と呼ばれました。
鎌倉幕府の有力御家人として
この地に勢力を伸ばした足利氏は
尊氏の代に至り、室町幕府を起こします。
現在は鑁阿寺として、足利家の氏寺となり、
国宝に指定された本堂をはじめ、
多くの重要文化財や有形文化財、史跡に指定され、
土塁と堀がめぐらされた武家館の風情を残しています。
住所:栃木県足利市家富町2220
アクセス:JR両毛線・足利駅 徒歩10分
東武伊勢崎線・足利市駅 徒歩15分
群馬県高崎市・箕輪城
出典:Wikipedia
箕輪城は戦国時代、
上野国の領主・長野氏によって築城されました。
上野国は関東管領を継いだ上杉謙信、
信濃を平定した武田信玄、
関東制覇を目指す北条氏康という
三大勢力に挟まれていました。
その中箕輪城城主・長野業正は武田勢を度々退けましたが、
業正の死後箕輪城は落城し、武田氏の支配に入ります。
武田氏滅亡の後は織田氏と北条氏の間で、争奪戦が行われましたが、
豊臣秀吉によって北条氏が滅ぼされると、
替わって関東に入封した徳川氏の城となりました。
後に高崎城に中心はうつり、箕輪城は廃城、
現在は石垣や土塁・空堀などの跡が残されています。
住所:群馬県高崎市箕郷町西明屋
アクセス:JR高崎駅からバス30分
群馬県太田市・金山城
出典:Wikipedia
金山城は別名「新田金山城」「太田金山城」とも呼ばれます。
太田市を一望できる標高235mの金山に築かれました。
現在の太田市周辺は清和源氏新田氏の本拠地であり、
本丸跡には新田義貞公を祀る新田神社があります。
金山城は新田氏の支族・岩松氏によって築城されました。
戦国時代に入ると上野国は、上杉氏と北条氏が衝突する最前線となり、
越後の龍・上杉謙信の攻撃を退け、関東七名城の一つにも数えられています。
後に豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼした際に廃城となり、
現在は石垣の一部や曲輪跡が残されています。
住所:群馬県太田市金山町40-98
アクセス:東武伊勢崎線・太田駅徒歩50分
まとめ
以上、今回は北関東三県の100名城をご紹介しました。
足利氏、新田氏、北条氏、上杉氏、武田氏、佐竹氏、豊臣氏、徳川氏と
関東の支配者の歴史が刻まれた名城ばかりです。