【日本の名城】徳川家康ゆかりの城を行く
城・天守閣・城址。
日本国内には数多くの城があります。
歴史ファンをはじめ多くの観光客を魅了するとともに、今もなお、各地のシンボルとして存在感を発揮しています。
歴史ロマンを彷彿とさせる日本の名城の旅。
今回は「徳川家康ゆかりの城を行く」です。
関連記事:
【日本の名城】織田信長ゆかりの城を行く
【日本の名城】豊臣秀吉ゆかりの城を行く
はじめに
出典:Wikipedia
徳川家康。
江戸幕府初代将軍として江戸時代260年の反映の礎を築いた戦国時代の勝者。
しかしその人生は逆境と忍耐の連続でした。
「人生は重荷を背負うて坂道を行くが如し」
家康が言ったと伝えられるこの言葉に全てが詰まっています。
今回はそんな家康の忍耐と成功の人生を追って行きます。
岡崎城
出典:Wikipedia
家康は1543年にこの岡崎城で生まれました。
松平氏は東の今川氏・西の織田氏に挟まれた三河国の土豪で、その政治バランスによって家康の人生は流転します。
6歳の時に家康の父・松平広忠が今川氏に従属し、家康は駿河国に人質として送られることとなります。
その後広忠は謀反によって殺害され、主を失った岡崎城は今川氏の支配下となりました。
「桶狭間の戦い」によって今川氏が撤退したのちに家康は岡崎城に入城し、念願の独立を果たしたのは10数年の後のこと。
家康が浜松城に移った後も東海道の重要拠点として機能するとともに、家康生誕の地として重要視されました。
昭和期に天守閣が再建、岡崎公園として整備され日本100名城の一つに選定されています。
住所:愛知県岡崎市康生町561
浜松城
出典:Wikipedia
尾張の織田信長と清洲同盟を結んだ家康は三河国統一を果たしました。
そして今川領の遠江に侵攻し、曳馬に本拠を移すとこの地を浜松と改名し浜松城を築城します。
今川氏の滅亡により、甲斐の武田信玄と国境を接することとなった家康は、武田軍の猛攻にさらされます。
中でも有名な「三方ヶ原の戦い」では惨敗を喫し、命からがら浜松城に逃げ帰った家康は馬上で脱糞したと伝えられます。
また、織田信長から正室・築山殿と嫡男・信康が武田氏に内通したとの嫌疑を受け、築山殿を殺害・信康を切腹させました。
この事件の原因については諸説ありますが、織田氏と武田氏という東西の強国に挟まれた徳川氏が一枚岩でなかったことが伺えるでしょう。
家康にとって武田軍との戦いは困難とともに大きな教訓となり、のちに武田氏滅亡の際には旧武田家臣を多く召し抱えています。
浜松城は明治期に廃城となりましたが、戦後に天守閣が再建され浜松城公園となりました。
城内には家康と浜松に関する歴史的資料や武具が展示されており、家康の石像が浜松の街を見守っています。
住所:静岡県浜松市中区元城町100-2
江戸城
出典:Wikipedia
織田信長没後、豊臣秀吉に臣従した家康は関東への移封を命ぜられました。
数十年かけて切り取り育てた東海の地から、北条氏の領国であった関東への移動を余儀なくされた家康ですが、江戸を本拠とし現在の東京の繁栄の基礎を作り上げました。
当時の江戸城は比較的小規模で質素な城でしたが、家康は大規模な改修・増築を実行しました。
天守は江戸時代中期に火災により焼失しましたが、現在の皇居にその遺構を多くとどめています。
また、建造物だけでなく「大手町」「半蔵門」「桜田門」「虎ノ門」など江戸城の門の名前が、地名としてその名残を残しています。
住所:東京都千代田区千代田
二条城
出典:Wikipedia
関ヶ原の戦いで勝利した家康は、京都の宿所として二条城を築城しました。
通説では京都の朝廷や大阪の豊臣氏への牽制のためといわれており、江戸時代を通じて幕府の京都における政庁として機能しました。
幕末期には京都政界における拠点として重要視され、「大政奉還」もこの二条城にて行われています。
当時の建造物が多く残され、国宝や重要文化財に指定されるとともに、「古都京都の文化財」を構成する一つとして、世界遺産に登録されています。
また城内には多くの植物があり、桜の季節には夜間ライトアップなども行われ、多くの花見客が訪れています。
住所:京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
駿府城
出典:Wikipedia
駿府城は駿河国守護・今川氏の居城でした。
家康は少年期の人質時代、駿河国を支配し江戸に移封するまでの時代、そして将軍職を徳川秀忠に譲り大御所となってから死去するまでをこの駿府城で過ごしています。
現在の駿府城は江戸時代に築城されたもので、天守は過去に三度建てられましたが明治時代に取り壊されました。
石垣や外堀には江戸時代の姿を残しており、駿府城公園として整備され、日本100名城にも選定されています。
住所:静岡県静岡市葵区駿府城公園1番1号
まとめ
以上、今回は「【日本の名城】徳川家康ゆかりの城を行く」をご紹介しました。
幼少期より逆境と忍耐の人生を過ごし、戦国の勝者となった家康。
今日の東京ひいては日本の繁栄の基礎を築いた人物と言えるでしょう。