【日本の名城】織田信長ゆかりの城を行く
城・天守閣・城址、日本国内には数多くの城があります。
2006年には「日本100名城」が選定され、「100名城スタンプラリー」なども行われるなど、歴史ファンをはじめ多くの観光客を魅了するとともに、今もなお、各地のシンボルとして存在感を発揮しています。
歴史ロマンを彷彿とさせる日本の名城の旅。
今回は「織田信長ゆかりの城を行く」です。
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はじめに
出典:Wikipedia
織田信長。
日本でその名を知らない人はいないであろう歴史上の著名人です。
「好きな戦国武将」
「好きな歴史上の人物」
「上司にしたい歴史上の人物」
など、さまざまなランキングでも上位に名前が上がる常連として絶大な人気を誇ります。
独創的な才能と実力を発揮し、政治・経済・軍事において革命的な政策や軍略を実施した織田信長ですが、その勢力の拡大とともに居城を移動しています。
国人層の連合体的側面が強かったこの時代の戦国大名の中にあって、これは珍しいことであり、その戦略眼と実行力が織田家の勢力拡張をさらに促したのです。
今回は信長の居城の変遷を追っていきます。
名古屋城(那古屋城)
出典:Wikipedia
織田信長は1534年、尾張国に生まれました。
那古屋城は信長が生誕したといわれる城の一つです。
江戸時代に入り、その跡地に徳川氏によって名古屋城が築城されましたが、第二次大戦の名古屋空襲によって大部分を焼失し、現在の天守や外観は戦後になって復元されました。
周辺は名城公園として整備され、名古屋のランドマークとして日本の100名城の一つにも選定されています。
そして名古屋城のシンボルといえば「金の鯱」。
高さは約2.6m、重量は約1,200キロ。
あまり知られていませんが、雄と雌がおり、
北側の雄の鯱は、南側のメスの鯱よりも大きく造られています。
信長が居城としていた時代の面影はありませんが、現代の名古屋の繁栄の基礎を築いたのは、織田信長といっても過言ではないでしょう。
住所:愛知県名古屋市中区本丸1-1
清洲城
出典:Wikipedia
織田信長は、「清洲三奉行」と言われた織田家の分家筋の生まれ。
尾張国守護斯波氏の、守護代織田氏の、そのまた家臣といった家柄です。
清洲は古くから尾張国の中心として栄え、清洲城は守護代織田氏の居城でしたが、信長が守護代織田氏が滅亡した後に入城し、以降約十年にわたり信長の本拠城として機能しました。
一族の内紛や尾張国統一を清洲城を中心に戦った信長。
今川義元を討ち取った「桶狭間の戦い」に出陣したのも清洲城からです。
また今川家の衰退に乗じ独立を果たした徳川家康と結ばれた同盟「清洲同盟」、
信長没後の織田家の継嗣問題と領土再分配に関する会議「清洲会議」など、
歴史上の重要な出来事が、この清洲城を舞台に繰り広げられました。
住所:愛知県清須市朝日1-1
小牧山城
出典:小牧山城をゆく
清洲同盟により東方の脅威が無くなった信長は、戦略を北の美濃国に向けます。
そのため北方約10キロ、美濃国に近い小牧山に築城し、本拠を移動しました。
小牧山は標高約85mの小山で、濃尾平野を一望できる山頂に城を築いた信長の戦略眼の鋭さが伺えます。
小牧山城は約4年間で廃城されましたが、1584年に羽柴秀吉と徳川家康が戦った「小牧・長久手の戦い」でも舞台となり、小牧山に布陣した徳川軍が実質勝利を収めています。
現在の城郭は、天守閣を模した小牧市歴史資料館として、小牧山城関連の資料が展示されています。
住所:愛知県小牧市堀の内1丁目
岐阜城
出典:Wikipedia
岐阜城は美濃齋藤氏の居城で稲葉山城と呼ばれていました。
齋藤氏とは、信長の父織田信秀の代から長年にわたり攻防を繰り広げていましたが、1567年ついに落城。
信長は美濃国に本拠を移すとともに、古代中国の故事に倣い「岐阜城」と名を改めました。
現在の地名「岐阜」はこれに由来します。
以降信長の天下布武の拠点として、安土城に本拠を移すまでの間機能し、以降も美濃国の重要拠点として史上に多く影響を与えました。
現在は金華山山頂に天守が復興され、日本100名城にも選定されています。
住所:岐阜県岐阜市天守閣18
安土城
出典:Wikipedia
安土城は1585年、琵琶湖をのぞむ近江国安土山に築城されました。
畿内における勢力を拡大し、天下統一を目指した信長の拠点として有名です。
安土城の外観については、当時の記録によると六層の南蛮風天守閣を擁していたと言われ、信長の独創的な意匠が反映されていたと言われます。
残念ながら本能寺の変に際し城郭は焼失してしまいましたが、石垣の一部などの遺構が残り、日本100名城の一つにも数えられ研究がすすめられています。
住所:滋賀県近江八幡市安土町小中700
【番外編】本能寺
出典:Wikipedia
最後は城郭ではありませんが、信長終焉の地・本能寺。
明智光秀の謀反によって信長が討たれた「本能寺の変」で有名です。
現在の本能寺は豊臣秀吉の時代に移転したもので、信長在世中は「四条西洞院」あたりに広大な敷地を構えていました。
信長が上洛の際に宿所にしていたこの本能寺は、近年の研究では堀や石垣が構えられ、城塞の様相を成していたと言われます。
住所:京都府京都市中京区寺町通御池下る下本能寺前町522
まとめ
以上、今回は「【日本の名城】織田信長ゆかりの城を行く」をご紹介しました。
尾張の小勢力から天下人まで成り上がった信長の軌跡を、居城を巡ってたどるのも面白いですね。